BELLUM/YUKARI OBANA

作詞・作曲・編曲・プログラミング・エンジニアリング・ボーカルすべてを一人で担当し楽曲制作を手掛けるBELLUM(ベラム)/尾花由佳理。 DTMを学んだことで音楽活動の幅が広がった経験や、ボーカルについてのお話、その他お知らせなどを書いていきます。

BELLUM/YUKARI OBANA

SoundCreater&Vocalist

作詞・作曲・編曲・プログラミング・エンジニアリング・ボーカルすべてを一人で担当し楽曲制作を手掛けるBELLUM(ベラム)/尾花由佳理。
DTMを学んだことで音楽活動の幅が広がった経験や、ボーカルについてのお話、その他お知らせなどを書いていきます。

自分にとって歌うことってなんなのか

ちょびっとお久しぶりであります。ベラムです。

昨日、講師を務める音楽教室CREA MUSIC HIRANOの講師陣で結成したQreptというアコースティックユニットで演奏した「春よ、来い」のカバー動画を公開しました。


春よ、来い/松任谷由実(Coverd by Qrept)【大阪市平野区の音楽教室 CREA MUSIC HIRANO-クレアミュージック平野】

1アーティストとして、自分の歌や芸術表現に関してわざわざ言葉で説明したり、触れることはあまりいいことではない気もするんですが、

今日はあえてそういうナンセンスなことをしてみたいと思います。

 

私は昔「ステージに立って一人で歌を歌う」ということに対してナーバスな印象を抱いていました。要因はいくつかありますが主にこの二つ!

・自分はメインボーカルとしてのインパクトを備えていないと思っていた

・わざわざ一人で歌うほど印象的で特殊な歌声を持っていないと思っていた

まわりには煌びやかで印象的な歌声を持った人がたくさんいたし、それに比べて私は「惹きつけるなにかが足りないボーカリスト」だという認識がありました。

 

アカペラというジャンルでボーカリストで集まって歌っていると往々にして「もっとインパクトがほしい」「迫力が欲しい」といわれることがあります。

当時はみんな若くて、パワフルな歌声で洋楽を歌うようなグループに憧れを抱く傾向がありましたし、パワフルさに限らず目新しいオシャレ感だったり、アカペラをやっている間は正直そういう「1秒2秒で誰かを惹きつけるインパクト」のことばかりとにかく考えていました。

映画みたいに聞いた瞬間に開いた口がしまらなくなるような演奏がしたい、みたいな……正直アカペラ時代はそういう憧れに振り回され続けていたように思います。

 

なんですが、アカペラ以外のスタイルで演奏をはじめ、講師として指導もはじめ、たくさんのプロやアマチュアの方と出会う中で、意識が大きく変わりました。

これは数年前からずっと言っていることですが

「別に私が歌う必要のない歌を歌おうとしなくていい」と思えるようになったという感じです。

 

「パワフルな、あるいはおしゃれな、それに限らずインパクトの強いボーカリストへの憧れ」というのはそもそも「私が持っていない、触れてこなかった種類のものだから」「インパクト」を感じて憧れになっているわけで、

私がそういうパワフルなボーカリストたちを聴いて育って、それを日々心地いいと思って聞いていたかっていうと違うんだよなと。

例えばパワフルな歌は、パワフルな歌が体中に染み渡るほど聴き歌い続けてきた人が歌ったらいいし、私が歌う必要がどこにあるんだ、と気づいたというか。

こりゃある意味、諦めでもありますが笑

 

諦めてから、そしてもう一つ、自分で自分の作品を最初から最後まで作りきる、という経験を通して歌への向き合い方が変わりました。

自分がこれまで本当に心から美しいと思った歌はどんなものか。新鮮さから憧れを抱いたのではなくて、自分の血液の中に流れているような芸術はなんなのか。

 

 

今はっきりと歌を歌う上で大事にしているといえることがあります。

・清潔に歌う

・日本語を丁寧に歌う

・1音、1文字を決して歌い飛ばさないように心がける

この3つです。

 

清潔に歌う、というのは過剰な自意識からくる不必要な表現や個性の押し付けをしない、ということです。「私ってこんな風にも歌えるんだよ、うまいでしょ、かっこいいでしょ」という自意識からくる表現をできるだけ削ぐ、ということです。

 

日本語を丁寧に歌う、これは誰が聞いても正しい歌詞を聞き取れるような、日本語の響きを大切にした美しい発音で歌うということです。

 

歌い飛ばさない、というのは強弱などに関わらず、旋律や歌詞の隅々まで意識を行き届かせて、意図した表現を完遂する、ということです。歌い捨てない。意図のない歌を歌わない。意図のない表現をしない。

 

もちろん完全にできているわけでは全然ないし、調子いい時も悪い時もあるし、どこまでも修行中の身。

いやいや、お前講師とか言うてるけどなにを偉そうに、まだまだやんけ、もっと練習せい!というような意見も聞こえてきそうなものですが笑

現時点でこの三つは自分の歌のアイデンティティーだと思っています。

 

自分にとって「歌」ってなんだろう、と「春よ、来い」を歌いながら考えました。

もしかしたら音楽を通して自分が見えてる景色を、歌を通して他の人にも共有できるよう歌っているのかなあ、と思います。

結局じょうずな歌なんて材料でしかなくて、どこまでも自分の問題なんだよな。

自分の中をのぞいた時にどれだけの景色がつまっているかなんだよな。

別にそれは年齢とか経験値だけに裏付けられるものではなくて(そういう要素は大いにあるけど)、一つの事柄に対してもどれだけ色んな側面から心を動かしてきたかっていうことなんだよな。

でもこれ「自己表現」…っていうわけでもないな。

私を知ってほしいんじゃないんだよな。

なんかこの言葉とは大きな隔たりがあるよな。

 

私を知って、見て、聴いて!という歌は私はどっちかってーと嫌いだ。

 

私に今見えているあの景色を、君にも見てもらえるといいな、見えますように、

という歌が好きだ。

そのためにはもっとたくさんの景色が詳細に鮮明に心にうつらなきゃいけないし、

それを誰かに見てほしいと思ったら芯の芯から真摯でなきゃいけない。

そういうことだなってやっと腑に落ちた気がしました。

 

歌う事は楽しいです。奥が深くて、たまに迷路だし、ストレス発散どころかストレス蓄積することもあるけれど笑

ずっと歌い続けられたらいいな、と改めて思うのでした。

 

あー久々のポエムモード。ナンセンスの極みでしたが、まあ意味のないことでもなかろうと思って投稿いたしますわね。